Web人賞

出馬 弘昭

大阪ガス株式会社 技術戦略部長

ボブとアンジー


"レシピサイト"というジャンルを確立した「ボブとアンジー」を1995年にプロデュース

大阪ガスが80年来保有していたレシピデータと料理画像をインターネットで公開。第1回日経インターネットアワードを受賞、Yahoo!Japanのベストサイト100に選ばれるなど、その活動は大きく評価され、大阪ガスの企業イメージアップにも貢献した。大手企業の手がけるサイトとしては異色ともいえる同サイトのプロデューサーとして活躍されたのが出馬氏だ。

――なぜ大阪ガスという会社で、ボブとアンジーというレシピサイトを立ち上げられたのでしょうか?

今でこそガスで料理を作るというは当たり前ですが、今から80年くらい前はかまどに木をくべて火を起こしていた時代でした。そのときに「ガスで料理すると臭うん違うか」と言われ、「ガスでも美味しいご飯が炊けますよ」というのを言うために、ガス会社自身で料理講習室を作ったんですよ。ガスでの調理を覚えてもらってガス機器を買ってもらい、ガスを使っていただくというのが目的だったわけです。実はその頃からの、レシピというコンテンツが貯まっていたんです。それをデジタル化して作ったのが「ボブとアンジー」なんですよ。それと90年代前半に"マルチメディア"、"情報スーパーハイウェイ"というキーワードがあって、コンテンツをどう提供していくか考えていたんです。そして1993年、京阪奈や横須賀のCATVでVODのマルチメディア実験があると聞き、それは面白そうだと、お客様の家庭に料理ビデオを配信すべく参加しました。ガスを売るだけではなく、情報も提供したいと考えており、私は研究所で情報分野の研究をしていました。ところが当時のシステムは使いにくかったんですよ。そこで94年ごろに「これは無理だなあ」と悩んでいるうちに、95年1月の大震災が起きてしまいました。

――そうでした!

仕事を止めて現場の復旧の応援に3ヶ月間行きまして。そのときに、インターネットが見直されたんですよ。行方不明の方や生存者情報が配信され、「インターネットこそ情報スーパーハイウェイや」と。もうCATVは諦めようと考え、震災の後に「ボブとアンジー」を立ち上げました。

――ガス会社が料理講習やレシピサイトを作るというのは、業界内では一般的だったのでしょうか。

いや、我々が一番早かったですよ。大阪人には好き者が多い(笑)ですし、料理の写真もあらかじめカメラマンから権利を買い上げて、著作権が当社に残るように変えていったのです。そうして我々がコンテンツを自由に使えるような体制を整えたんですよ。そういうことを他社さんではやっていなかったんですよね。

――当時のサイトはどういった作りだったのでしょうか。

600レシピをデータベース化して、「和食」「肉」「焼く」といったようなワードでレシピを探せるよう、検索エンジンも導入していました。かつレシピには栄養価も記載。ここまで大規模で、情報を網羅していたのは世界的にもありませんでしたね。当時としては画期的と言われました。でもパソコンでやるからには検索性が必要だと考えていましたから。

――何人くらいのスタッフで作ったのでしょうか?

企画は私1人だけでしたね。その研究所のあった京都リサーチパークは、IT系の企業やベンチャーさんが集まるインキュベーションセンターで大阪ガスが運営していたのですけど、そこのデザイン会社の外人のデザイナーさんにお願いしてイラストを描いてもらいました。検索エンジンも、基本部分はこっちで作り、それをベースにインターネット上で使えるものを別のベンチャーさんにやってもらい、構想から1ヶ月で作り上げました。

――企画を通す上で大変だったことは?

震災の後でしたから、会社自体がガタガタだったんですよ。インターネットなんて…と思いつつも作り始めたら1か月でできちゃったわけでして。このレシピコンテンツは営業部門の持ち物だったので、公開する前に営業部門のマネージャー会議のときにプレゼンに行きました。ところがそのときの反応は非常に批判的。「インターネットなんかオタクのものだし大阪ガスがやることではない」と怒られまして。でも何度もプッシュしていたら会社が根負けですよ。当時の副社長が賛同してくれたことも大きかったです。最終的には「この忙しいときに…勝手にやれ!」と。その代償として、しばらく営業部門には出入り禁止になってしまいました(笑)。

――リリース後の、評価はどうだったのでしょうか。

96年に日経のインターネットアワードを受賞して、日経新聞にドーンと載ったわけですよ。そしたら会社がざわめくわけです(笑)。「誰がこんなのやってたの?」と。また営業マンがお客さんにも聞かれたそうなんですよ。その頃からですね、営業部門も段々とこっちを向いてくれるようになりました。

――その後はどのように関わっていかれたのですか?

「ボブとアンジー」はオープンした95年から98年ぐらいまで担当していましたが、マネージメントの仕事が主となってしまったので、事業開発部門に移管しました。そこでビジネスのスキームを作り、レシピのレンタルなどもするようになりました。いうなれば私は生みの親で、育ての親が事業開発部となります。いまはエルネットという大阪ガスの子会社が運営主体となっています。

――98年以降は完全に手が離れたのですか?

99年にiモードの公式サイトとして登録してくれ、とDoCoMoさんに頼まれ、また他のキャリアの公式サイトとしても提供していたのですが、小さい画面で見やすくするため、または検索しやすくするためのユーザービリティに関しては間接的にお手伝いしていました。もともと95年の発足以来、ひらがな、カタカナ、漢字といった表記のゆらぎを吸収する検索エンジンを開発していきましたし、お客様の「こうしてほしいああしてほしい」という声に対して真摯に対応していきましたから、ノウハウはあったと思います。98年以降はまったく別の分野の研究や仕事に従事していて、そちらに興味が移っているので、「もう一度関わりたい」という気持ちはほとんど持っていません。子会社でしっかりとビジネスに展開してくれていますから。

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